モンゴルの首都ウランバートルは中央県に位置し、トール川が流れており、四つの山に囲まれた盆地になっている。
ウランバートル市の歴史:
1639年から30回ぐらい移動し、1778年には今の所に移動してきて、イフ・フレーと言う名をつけられた。そして、1924年の10月29日の国民大会議で、モンゴル国の首都はウランバートルと決められた。
面積 |
1,359平方キロ |
人口 |
1,000,000人(2007年4月現在) |
標高 |
1,351m |
気候 |
1月平均気温 -26.1度 7月平均気温 +17度 |
年間雨量 |
233mm |
スフバートル広場
スフバートル広場の中心に1946年に建てられた騎馬像は1921年のモンゴル革命の指導者スフバートル氏である。騎馬像の高さは4メートル、台座を入れると12メートルになる。台座の横には、「我が人民がひとつの方法に、ひとつの意志に団結するならば、我々が獲得できないようなものはこの世にひとつとしてない。我々が知り得ないものもない。できないことも何一つとしてない」というスフバートルの言葉が刻まれている。
スフバートル騎馬像の北側に大モンゴル国建国800年祈念として建てられた
チンギス・ハーンとその優秀な将軍ムフライとボールチ達の像もある。
ザイサン丘
モンゴル旅行の定番!!ウランバートルを一望できる丘。そこには、1939年のハラハ川戦争、その時に支援したソ連兵士達を記念して1971年に建てられた記念碑があり、丘の入り口には、「ソ連戦士の記憶は、空の太陽のように永遠であり、大地の燃える火のように神聖である」と記され、頂上の広場の中心に伝統的なモンゴルの灯「トルガ」がある。これは幅3m、周囲60mの鉄筋コンクリート製の輪によって囲まれ、輪の外側にはモンゴルの民族文様を背景に、ソ連とモンゴルの勲章とメダルが浮き彫りにされたもので、内側はモンゴルとソ連両人民の友好、相互援助をイメージしたモザイク壁画になっている。
ガンダン寺
正式名はガンダン・テクチレン寺院で、1838年に第5代活仏ジャブザンダンバーによって建立されたチベット仏教寺院で、極左政権期には寺院としての機能は失われたが、1940年代には回復。1970年宗教大学が併設され、さらに最近の改革以降、民族文化の再興運動が起こると、同寺はチベット仏教の再評価や寺院の再建、文化財の保護・修復運動の中心的存在となっている。境内では五体投地をする人も見られ、モンゴルが仏教国であったことを思い出させてくれる。1939年に破壊されたが1944再開された。モンゴル仏教の中心地。
開眼観音堂
ガンダン寺の観音堂には高さ25mの観音像がある。これは盲目となった第8代活仏(在位1911-1924年)が、その治癒を祈願して建立した開眼観音「メグジド・ジャナライスク」である。今の観音は2代目で1990年に建造が開始され1996年の10月完成した。初代観音はスターリンによって1938年に破壊され、ソ連に持ち去られた。
自然史博物館
1924年に開館されたこの博物館には、モンゴルの自然に関する豊富な展示物が保存されている。館内はいくつかのコーナーに分かれている。世界最大の肉食恐竜の化石や卵の化石などが展示されている。
ボグドハーン宮殿博物館
革命前は第8代活仏の冬の宮殿であった。現在の建物は1919年の建立されたもので、その建築様式は釘を1本も使わない木組み方式であるといわれている。第8代活仏の生活用品や、世界各国から献納された動物の剥製、チベット仏教の曼茶羅、仏像などが展示されている。
日本人墓地跡
ウランバートル市内には、ダンバダルジャー墓地という比較的大きいな日本人墓地があった。厳冬の地モンゴルで強制労働に従事し、死んでいった旧日本軍兵士など全部で835柱の遺骨が葬られていた(姓名のわかっているものは614柱)。近年、日本の厚生省(現在の厚生労働省)によって遺骨が収集され、現在その跡地に慰霊碑と記念堂が建てられている。
















