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伝統文化と芸術

伝統的な韻文文化

モンゴル文学は、書かれた散文主体の「文学」のイメージより、ずっと韻文とパフォーマンスの要素が濃い。韻文の評価は散文より一段高いし、詩は朗読というパフォーマンスを前提に作られている。
 この韻文の伝統を支えてきたのは、口頭伝承である。「ジャンガル物語」「ゲセン物語」「ハン・ハランゴイ物語」などの英雄叙事詩は、今も語り継がれている。
 また、ユルール(祝詞)と呼ばれるジャンルは、あらゆる儀礼や、結婚式、ナーダム、正月などの宴会に欠かせない。
 今に伝えられるモンゴル最古のそして最大の文学作品「モンゴル秘史」にも韻文の部分が多い。これは、チンギス・ハーンの生涯を始祖「蒼き狼」から説いた歴史物語で、モンゴル人にとってはチンギス・ハーン崇拝の一部までになっている。
 元朝の崩壊以降、17世紀にいたるまでのモンゴル語分献は余り残っていない「モンゴル秘史」も13~14世紀ウイルグル式モンゴル文字で成立したとされる原典は失われ、漢字でモンゴル語を音写した中国明代の版本で伝わっている。

チベット仏教の影響

 17~18世紀になると、モンゴルは中国の清王朝の支配下に入り、その後押しを受けたチベット仏教ゲルク派がモンゴルで影響力を決定的なものにしていった。18世紀半ばには、清の乾隆帝によってモンゴルの古書がことごとく北京に運び去られた。これはゲルク派をモンゴル支配の手段とする宗教統制の一環である。
 この時代、今日に伝わる「アルタン・トプチ」「シャル・トージ」「エルデニーン・トブチ(蒙古源流)」など、多くの史書も著された。これらの史書は、文献的な空白期に成立したと考えられる「チンギス・ハーンの2匹の駿馬の物語」や映画が日本で公開されたモンゴル再統一の立て役者、ダヤン・ハーンの妃「マンドハイ伝」などを含んでいる。
 また、アルタン・ハーンの時代(16世紀)に始まった大蔵経の翻訳事業が完成し、モンゴルの僧がチベット語やモンゴル語で多くの著作を著した。インド・チベットの説話に倣った「エンドゥーレル・ハーンの物語」「ナランゲレル・ダギナの物語」などの物語も作られた。
 19世紀になると、それまでの宗教的教訓詩以外のジャンルの政治的風刺詩や叙情詩などでも優れた詩人が続出した。なかでも、ゴビ地方の活仏ニンマ派を奉ずるノヨン・ホトクト5世ラブジャーは、教訓詩のほか多くの恋愛詩を残し、チベットの「月郭公の物語」を翻案した歌劇をモンゴルで初めて舞台で上演している。

漢文化の浸透

 このようなチベット文化の顕著な影響に対し、19世紀半ばからは、漢人商人による商品経済がモンゴルに急速に浸透し始め、漢文化の影響が圧倒的になっていく。すでに18世紀、中国の通俗小説「施公案」や「済公伝」は、モンゴル人に非常に人気を得ていた。翻訳された中国小説は、すぐさま英雄叙事詩の語り口で語られた。
 この時期、南モンゴルのジョスト盟のインジャンナシは、モンゴル文学における散文の新しいジャンルを切り開いた。「一層桜」「泣紅亭」は、中国小説の型式を取ったモンゴル人物の小説である。また長編歴史小説「フフ・ソダル」は、中国を支配したモンゴル栄光の時代、元代を描いている。

現代の文学

 1921年の人民革命はモンゴル近代文学の夜明けをもたらした反面、ときどきの党の文化政策に、文学は直接影響を受ける事になった。革命以降、最も著名な文学者は、「我が故郷」などの詩や旧体制の矛盾を暴いたとされる「白い月と黒い涙」などの小説や脚本で知られるD.ナツァグドルジである。また長編小説「清きタミルの流れ」のCh.ロドイダンバ、演劇のD.ナムダグ、詩人のB.ヤボーホラン、最近では精緻な心理描写が特徴の小説家S.エルデネなどがいる。
 1989年からの民主化運動は、「新聞雑誌の洪水」と言われる現象を生み出し、人々の文学への関心は薄れたとおわれた。
 しかし、1990年に行われた詩人コンテストは、聴衆を前に自作を朗読するトーナメント型式で行われ、多くの人の注目を集めた。このコンテストの上位は、若い才能のある無名の詩人達によって占められた。

近代美術

 モンゴルの近代絵画の開拓者といえば、マルザン(ひねくれ者)シャラブとして有名なB.シャラブである。モンゴルの生活を緻密に描いた「モンゴルの一日」と「馬酒乳祭り」は国外でも知られ、モンゴルのブリューゲルに例えられる。シャラブは仏画の伝統的な技法と模式を幼い頃から学んだ。「ジェプツンダンバ8世像」など近代的な写実性をもつ肖像画にも伝統的な手法は色濃く見られる。
 1900~1950年代には、U.ヤダムスレン、O.ツェベクジャブ、N.ツルテム、G.オドン、L.ガワーらがソ連に留学し、油絵などヨーロッパの技法を学んで帰国する。そしてレーニン、スフバートル、チョイバルサンといった革命の英雄やパルチザンの肖像のほか、一般の勤労者の姿も描いた。牧民の1日の労働のあとの和やかなひと時を描いた、オドン作「仕事のあと」などの作品が生まれている。

伝統回帰

 1950年代末になると、第2次世界大戦などの困難を乗り切って人民政府が安定し、党の締めつけもゆるんだ為か、題材にも幅ができ、画家たちの一部は伝統的な手法に回帰する。
 ヤダムスレンはシャラブと同じく伝統的な絵画の技術を学んだ後、ソ連に2度にわたり留学、帰国してからスフバートル、チョイバルサンの肖像などを油絵で描いた。
 しかし、1958年の「老吟遊詩人」から伝統絵画の手法による作品を発表し始める。D.ダムディンスレンも1959年「母の名誉」を発表、伝統的様式に立ち返った風景画を描き始めた。伝統的様式・技法の画家は、その後もB.ゴンボスレン、Ts.ジャムスラン、A.センゲツォヒオ、Ts.ミンジュール、Ts.ダワーフーらが輩出し、モンゴル画壇に大きな位置を占めている。このほか、幻想的な作風のM.ブテムジ、Ts.ムンフジンなどがいる。
 モンゴル絵画は、一般に伝統的技法の影響を受け、陰影が薄く輪郭のはっきりした、鮮やかな色彩を巧みに配置して対象の存在感を表現した作品が多い。
 彫刻では、スフバートル広場の中心にあるスフバートル像、国立大学前のチョイバルサン像などで有名なS.チョイムボル、広場前の公園にある「荒馬ならし」などのN.ジャンバーらがいる。

モンゴルの歌

懐かしい声が聞こえてくる
 モンゴルの音楽は、私達日本人にとっては不思議な共感を呼び覚ましてくれる。実は、モンゴルの音楽は日本の民謡や語り物などの伝統的な音楽と共通なメロディーとリズムが多く含まれており、コブシやフシまわしなど似通った点にその秘密がある。

オルティン・ドー
小諸馬子唄や江差追分を聴いたことがありますか?モンゴルのオルティン・ドーは、こんなコブシを回しながら、ゆったりと歌い上げるのである。
 歌詞の多くは、自然や愛馬や遠く離れた恋しい人、故郷を歌ったもの。日本の民族音楽の草分け故小泉文夫先生は、こんな推測をしていた。「もしかすると、日本の馬子唄はモンゴルから伝わってきたかもしれません、奈良時代に唐から馬が伝来したときに、日本に来たモンゴルの馬使いが歌も伝えたのでは?」

楽しく踊るボギン・ドー
 前述のオルティン・ドーは、日本語に訳すと「長い歌」。それに対してボギン・ドーは「短い歌」と言う意味。つまり長い節まわしで歌詞を味わう民謡があるのだ。
このボギン・ドーは、日本でいえば八木節とか安来節とかドンパン節みたいなものだ。村も衆が集まって楽しく歌う。それでも、日本のようないつも2拍子系のリズムばかりの音楽と違って、ヨーロッパの素朴な民族舞踊みたいな3分割リズムのものもあったりする。それでもやっぱりメロディが日本の音楽に似ていたりすると、演歌かしら?と聞こえてしまう。

家族や村の娯楽は物語
 ラジオがない時代、どこの国でもお年寄りから聞く物語は最も楽しい娯楽のひとつだったに違いない。
 モンゴルでも同じこと。それが何もない草原のド真中だったりすれば、音楽付きで歌ったり、朗読したり、アノ手コノ手で楽しんでみるもの。
 広い地域をわたっていった民族なので、内容もモンゴルの中だけでなく、ヨーロッパ、イスラム圏、中国、チベットやチベット経由のインド圏などのいろいろな民族の物語のモンゴル・ヴァージョンやら翻訳やら、ユーラシアの民話が大集合。
ひとり二役ホーミー
 モンゴルの歌の歌い方に一風変わったものがある。ひとりで一度にふたつの音を出して歌う歌い方だ。低い声でメロディを歌い、歌い手の頭上で笛みたいな伴奏が聞こえてくる。もちろん楽器なんか使っていません。のどを思いっきり開いて、舌や唇、頭蓋骨、歯、肋骨、などを調節して響かせる。
 このやり方はモンゴルだけでなく、旧ソ連邦のモンゴル周辺民族にある。チベットではこのやり方でお経を唱えることもある。最近日本では、一部の民族音楽ファンの間で流行っていてジャズの坂田明、ポップスの細野晴臣らが自分の楽曲に取り入れたりしている。また、フランス在住ベトナム人のトラン・クワン・ハイという音楽学者が凝りに凝って、自分でホーミーを歌ったCDまで出している。

馬頭琴とその他のモンゴル楽器

 「スーホの白い馬」という物語を読んだ記憶のある方も少なくないと思う。スーホという歌が上手く、乗馬も秀でた若者が、死んだ愛馬を偲んでその馬の皮と毛と骨で楽器を作った。その楽器が馬頭琴、つまりモリン・ホールなのです。
 この伝説の真偽はともかく、モリン・ホールは最もモンゴルで普及している民族楽器である。一番上に馬の頭の形が付いていて、やや長い2本の弦を弓で擦って演奏する。いわば、西洋のチェロや中国の胡弓の仲間。その音色は、草原の風のような渋味のある深い響きやまるで馬のいななきのような響きがするのである。
 他の多くの楽器は、中央アジアの諸民族やチベット、中国のものとほぼ同じであるかそれを模したものである。
 かつては宮廷でそれらの楽器を組み合わせて、合奏をしていたこともあったが、長い社会主義体制のもとで、クラシックのオーケストラ編成のようなスタイルを取り入れるなどして伝統的な編成が途絶えたような形となった。

戦前の日本の落し物

 「婦人解放の歌」。これが、全く日本の鉄道唱歌のメロディと同じなのだ。このほかにも、日本が文部省唱歌として習っていた外国曲唱歌もこの類で替え歌としてモンゴルに残っている。
 以前、中井貴一主演の映画「ビルマの竪琴」の中で主人公が「埴生の宿」を演奏していたシーンがあったが、これに似たものだと思えばよい。

オルティン・ドーとボギン・ドー

オルティン・ドー
 オルティン・ドーは「長い歌」という意味のモンゴル民謡の中の一分野である。拍のないメロディが特徴で、ゆったりと長く引き伸ばすから「長い歌」というわけだ。
 歌詞は、故郷の草原、山河、ゴビ砂漠、馬、ラクダ、など、遊牧民の暮らしに深い関わりのあるものに対比させて両親や子供、恋人への感謝、教訓、愛情などを歌ったものが多い。お祭りや結婚式などめでたいところで歌われることが多く、縁起の悪いものについて歌われる事は少ない。

ボギン・ドー
 モンゴル民謡のもう一つの重要な分野、ボギン・ドーはあらゆる点でオルティン・ドーと対照的だ。これは「短い歌」と言う意味で、オルティン・ドーのように長く引き伸ばすことはなく、拍がはっきりしていてメロディもわかりやすい。ボギン・ドーで歌われる内容は、オルティン・ドーよりも多様で、人生の喜怒哀楽一般について歌われる。
 モンゴル人の間では、年配者はもちろん若者にも民謡がおおいに愛されているのだが、一般の人々が親しみ、気軽によく歌うのはボギン・ドーである。

オルティン・ドーの特徴

オルティン・ドーの一番の特徴はその声量にあります。人間がマイクも使わずにこれほどの声が出せるものかと、聞けば誰もが圧倒されるはずです。日本の追分や馬子唄と共通するところがあり、日本人にも懐かしい思いを抱かせるからという説明もできる。だが、そればかりではないようなリラックスさせる力があるらしいのだ。
かなりの声量であるにもかかわらず、「うるさい」のではなく、空気の震動が心地よく感じられるのだ。これには、同じ歌い手でもその日の調子や気分によって伸ばす長さや装飾音の入れ方が微妙に変わるというオルティン・ドーの特徴が影響しているのかもしれません。
ある程度基本の形を守りさえすれば自分なりに自由に歌ってよい、そんな大らかなオルティン・ドーに規則や約束や決まりごとでがんじがらめの日本の人たちの心を解放してくれる作用があるとしても不思議ではない。
 技術的なことについて言えば、オルティン・ドーの難易度はかなり高い。装飾音には、コブシや裏声など耳慣れたものからどうやって出しているのか想像もつかないようなものなどさまざまなものがあるし、音域も広く、ときにはかなり離れた音にとんだり、思いもよらない転調があったりもする。

オルティン・ドーは世界に広まる
 こうしたオルティン・ドー独特の歌唱法の秘める可能性は果てしない。これまでも世界中のさまざまなアーティストが興味を示し、自らの作品に取り入れてきたし、そういったことはこれからどんどん盛んに成っていくだろう。
現代のモンゴルではオルティン・ドーは「古典」というイメージがあり、特に若者にとっては古臭いものと感じられている。昔は祝いの宴で皆が歌うのが当然であったのが、今では専門の歌手が歌うもので、誰でもが歌えるものでは無いと考えられている。
とはいえ、旧正月やお祭りの際にはテレビなどでもずっと流しているので、日本における民謡より浸透しているようである。
現在もオルティン・ドーを志す若者はしっかりと育っているし、プロの歌い手は海外に演奏に出たりもしている。何よりも、日本人からは想像もつかないほど愛国心、民族の誇りをもつモンゴル人たちのことだから自分達の文化を廃れさせるようなことはないだろう。
とにかく、モンゴルに着たら一度オルティン・ドーを生で聴いてみて下さい。一番ふさわしい場所、それはモンゴルの大草原、本当に気持ちの良いものです。



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